b)団体遍歴
テクノクラートとしての技能を習得しながら、私は3つの団体を遍歴した。始めは陸軍参謀型のスタッフとして、ついで黒衣として、最後は海軍参謀型のスタッフとして。
イ)日本ウレタン工事業協同組合(全ウレ協)
1)組合設立の動機
A.材料販売チャネルとしての組合組織
私は化学メーカーの営業管理者として、建材の販売を行った。この仕事では工事業者を流通チャネルにいかに組み込むかが重要な営業上のテーマであった。一般的には任意団体(法人格なき社団)を設置し、これに事業活動を行わせるものが多い。しかし私は組織の継続性、信頼性、自主性を考慮して、事業協同組合を設立し、法人格のある団体活動を企画した。
B.共同事業の成果
その結果この材料販売は一応の成果を挙げ、年間約40億円の中型の販売規模の商品となり、建材市場に参入するための足掛かりとなった。
C.組合員に如何に奉仕するか
建材販売はメーカー→建材問屋→工事業者の縦のルートで行われ、組合は材料の価格決定の実務には直接にはタッチせず、メーカーとの契約で、共同購買手数料の支払いを受けることとした。そして組合は組合員に対する価格以外の広範なサービスを分担した。
D.共同事業の展開 「風車」と言われた試行錯誤
その第一は当時工事の施工を直接担当する職人の技能水準の向上と標準化のため開始された「技能士」制度に関するものであった。
技能士資格を求める者への受験申請窓口業務・受験前の講習会の開催・実技試験の模擬テスト・合格者への合格通知と合格証の交付等の業務、業界団体を通じての本試験の試験委員の派遣・本試験実施の会場・試験用具・試験材料に準備等(試験は労働省認定の公的試験であるが、実施は業界がすべて分担した)
この仕事は現在も継続して行われており、施工技術水準の向上と標準化に寄与している。
しかし建設省がこの資格を建設業法での資格(例えば建設業許可申請の際、必要要件の一つである「主任技術者」)として認めるのが遅れ(現在は認めている)実際の価値が少なかった。 そのため、次第にこの技能士制度だけでは組合員の満足が得られなくなって、いろいろな経済的共同事業を試行錯誤で行った。
ア 共同検査事業
工事の完成検査を行い、合格工事には証明書を交付した。この事業は「防水工事瑕疵保証」制度に拡大すれば有効であるが、当時は組合事業としては認められないことが判明し、メーカーが材料保証を行う方向に漸次切替えフェードアウトした。
イ 共同受注事業
「官公需適格組合」制度を利用して共同受注を行った。民需と官公需で数件の受注を得たが次の問題点があり、これもフェードアウトした。
a.入札の際に、同一物件に組合と組合員が指名されて、競合になる。公正な競争が現実には不可能である。
b.組合が落札できた物件の配分に当たり組合員に公平に配分しても、配分を得られなかった組合員から不満が起きる。
c.監督行政庁である建設省が「官公需適格組合」制度自体に批判的だった。(現在は違っているが)
ウ 共同施設利用事業
当時は簡単な施工用具で防水施工が出来たので共同施設利用のニーズはなかった。
その後技術の進歩により、超高圧吹き付け機械による速硬化スプレー方式の防水・床仕上げ施工システムが生まれた。
これには約1千万円の機械投資が必要であり、経済的に組合員に投資決断を鈍らせる巨大な金額であった。そこで組合が機械を購入した上で、組合員にリースすることが考えられたが、次の理由で慎重にならざるを得なかった。
a.機械の取扱が複雑で、専門的に実習をアメリカの機械メーカーまで行って、マスターした者しか取扱いが出来ない。
b.上記のマスターした者を講師にして、講習会を開催し、その終了者に取扱いを認めるとしてもメンテナンスに責任をもって管理し、保全される保証がない。
c.自社の機械であり、資産であれば前述の管理が期待できるが、共同財産では扱いが乱暴になり、メンテナンスが疎略になるだろう。
d.組合財産の流動性が損なわれ、経営が困難になる危険がある。
以上の検討結果、組合財政に負担の少ない小規模の機械を各支部予算の範囲内で投資して共同機械利用事業の試行をした。
このように色々経済事業を試行錯誤した結果、役員の一部から「風車」のようだと批判された。なお金融事業は同業団体に失敗例があり、設立当初から事業に入れなかった。
E.組織化助成制度の利用
経済事業では共同購買事業以外には、あまり成功しなかったが、教育情報事業では、組織化助成制度を活用して、同業団体では先進的存在となった。
そのために全国中小企業団体中央会(以下中央会と略称する)の連合会研修制度を始め中小企業組織化助成制度と、建設雇用改善推進助成金等を積極的に利用した。特に連合会研修は、防水工事業の経営・技術・組合運営の多面にわたる先端ニュースを権威者の講師から得たが、1泊2日の研修は「充電の2日間」として好評だった。
また建設雇用改善推進助成金は新技術の講習会を始め、組合員事業所社員を対象とする各種の研修会に利用し、優秀従業員表彰制度にも活用した。
その他、組合報の定期刊行に務め、B5判約24ページ年6回の組合報を配付し、消費税等の特集号や資格試験の問題解答特集号を随時発行し、組合員に好評を得た。
こうして組合は次第に教育情報事業と福利厚生事業を中心とするソフトな経営資源を供給するようになった。
2)事業推進の停滞
設立5年後、組合事業についてアンケート調査を実施した。共同購買事業と共同受注事業と福利厚生事業には不満があるが、共同宣伝・共同検査・教育情報の3事業には満足している結果が判った。
しかし景気の後退による、建設産業の停滞の影響を受け、組合事業も次第に困難を増し、事業計画の推進が思うように行かなくなった。
A.技能検定の定着
技能検定が定着するに連れて、新たに受験する人が減少し、設立当初は大きかった組合加入のメリットが少なくなった。
また建設省は新しい制度として「建築施工管理技士」を始めた。これは始めから建設業法上の資格と連動していた。そのため「技能士」は資格としての魅力が薄らえだ。
「建築施工管理技士」は受験問題が広範で、専門的知識も「技能士」より多角的なものが求められた。一組合で講習会を運営するには困難であった。それでも数回開催したが、受講者が少なく、専門の講習会を紹介し、受講費用の一部を補助することにした。
B.共同受注事業の困難
組合事業の第2の目玉であった「官公需適格組合」による共同受注が前項の理由で困難になった。
C.脱退者の増加
景気の後退は組合員の経営を圧迫し、賦課金の負担を困難にし、その結果脱退者が加入者を上回ることになり、計画した賦課金収入を下回る結果となった。
D.共同購買事業の停滞
さらに景気の後退は材料の販売にも影響を与えた。組合設立以来上昇した共同購買手数料収入は昭和60初めて前年実績を下回った。
これらによって組合財政は健全な運営を続けるのは困難となった。
3)活性化対策
A.支部自主事業費の配分
今までどちらかと云うと、組合本部事務局のリーダーシップで運営して来たのが行き詰まりになった。この点を反省し、昭和61年度から支部の活性化を積極的に行うこととし、支部自主事業費を4支部(北海道・関東・中部・関西)に配分し、各支部に自主的に活用して貰うことにした。
この結果は成功し、各支部が意欲を起こし、事業に参加意識を持つ若い世代が現れた。
B.「卓越した技能者」推薦制度の制定
第2は技能尊重の機運を高め、先達者の労苦に敬意を表するため、都道府県優秀技能者表彰制度等「卓越した技能者」推薦制度を発足した。
制度発足以来平成2年度までに10名の都道府県優秀技能者を獲得した。この事業は高齢者で高い技能を持ちながら、社会から評価を得られない組合員とその従業員に感謝され組合を再認識する結果となった。
C.青年部「三青会」の設立
第3には組合青年部の設立を推進した。
支部自主事業を通じて、意欲的な青年層の存在に気付いた。この若いエネルギーを組合活性化に使い、組合の世代交代を順調に行うこととした。幸い全国中央会の指導を頂いたので昭和63年に設立できた。
当青年部「三青会」は順調に運営されており、全国中央会の有力メンバーになっている。
このようにして「世代別奉仕」計画を確定した。即ち老年には栄誉、壮年には権力(組合役員としての)青年には自己研鑽の場を差し上げた。
D.10周年記念事業の計画
さらに平成2年には設立10周年を迎えるのでこれには盛大な記念事業を実施すべく「設立10周年記念事業委員会」を設置して事業計画をたてた。
これに先立ち、10周年記念事業費を約1千万円とし、その約7割を内部留保で用意することとし、3年前から経費を節約し、職員の欠員を補充する予定を延期し、共同購買事業の目標を修正した。
その結果約1千1百万円の予算で記念ハワイ旅行を約140名が経費の一部を組合が補助して実施、組合員の家族ぐるみの親善ができた上、記念誌の発行ができた。
4)引退
この記念事業が予定とおり遂行出来る見通しが立ったのを機会に平成1年12月末でこの全ウレ協を退職した。
その理由は次の点にあった。
A.経営指標の研究と結果
それまでの組合運営の成果を客観的に自己検索するため、防水工事業の経営指標の経時的分析を昭和63年5月に開始した。組合設立の年である昭和55年からその時期までの間の防水工事業の経営指標の変化を関連する専門工事業と比較しながら分析した。その結果収益性・安全性・生産性の各指標が悪化していることと、他の専門工事業に比べてあまり優れていないことが判った。
自分のこれまでの奉仕にも係わらず、それほど効果が上がっていないことが判明し、残念だった。
それと同時に防水工事業団体の一単組に過ぎない、全日本ウレタン工事業協同組合での努力では、防水工事業全体の近代化・構造改善にならないと思うようになった。
B.企業傘下組織の人事
またこの組合が実質M社の企業傘下にあることも気になっていた。いずれ早かれ遅かれこの組合のスタッフはM社のOBに手渡す必要が出てくることは自明であった。「カイザルのものはカイザルへ」である。ならば早いうちに返上したほうがスマートではないか。 一方N社の子会社の社員としての地位も、返上すべき時期になった。NK社は私がN社定年後も社員として雇用し、その身分で組合に出向していたが、NK社のT社長のご厚意に甘えていることがいつまでも許されるものではないように思われた。
C.後継者の台頭
三青会のメンバーにはW氏のような優れた人材があった。彼らから「老害」などと言われない内に退散したくなった。
こうした理由で私はこの組合を去った。多くの協力者の方々を残して。それらの方々には申し訳なく思っている。
5)陸軍参謀型スタッフ
今反省してみると、当時の私はスタッフとして旧日本陸軍参謀にように、ラインの方々に自分の立てた戦略・戦術を押しつけ、無理やりに前進させようとしたようだ。
そのため、役員の一部の方々には不満・批判を受け、ご理解を得られなかった向きもあった。申し訳なく思う。ご容赦をお願いしたい。
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