a)テクノクラートとしての技術力の習得(つづき)
事務のOA化の手段としてのパソコンの重要性は、今日誰もが認めるところであるが、私がこれに手を染めた頃は、まだオフコンの時代だった。汎用表計算ソフトの代表的存在だった「ロータス123」やデーターベース「忍者」「桐」を使って、自分でプログラムを組み立てる人は、マニアックな「オタク族」視される一握りの人々だった。
相談出来る人が少なく、参考書・パソコン雑誌を読みあさり、失敗を重ねて、次第にマスターしたものであった。
ニ)表計算
M社とN社のJV時代に「全日本ウレタン工事業協同組合」(以下「全ウレ協」と略称する)の事務局員だった私は、前回の「複式簿記」で述べたように富士通のパソコンを使い「エポカルク」という表計算ソフトによって、月次会計と、会費管理を行っていた。 それまで税理士に委託していた会計業務を、パソコンによって、自分で試算表・決算整理・決算書作成・税務申告・納税までやれるようになった。
従って次第に興味が沸き、自宅にもパソコンを入れた。機種はNECのPC9801RXを選定し、外付けのハードデスクを付けたり、メモリーを増設したりして、約80万円を家計から支出した。この時は流石の妻も怒った。自己中心のエゴイストだと。
この時、慣れた富士通を選択しなかったのは、NECの方がパソコン市場で強かったのと、パソコンスクールでのインストラクターの態度が、富士通よりもNECの方がドジな高齢者に優しかったためだった。
その当時私は全ウレ協を或る理由で退職し(詳しくはこのシリーズで説明の予定)全国防水工事業協会法人化準備会事務局に勤務していた。ここではリコーのワープロ「リポート」の表計算ソフトにより、全ウレ協とほぼ同様の会計処理を行った。
その後社団法人 全国防水工事業協会(以下「全防協」と略称)が発足し、公益法人会計基準に定められた会計処理を、本部と9支部との連結会計で実施することになった。
「リポート」の表計算ソフトではこれが容量的に不可能であった。
そこで私は当時の専務理事のM氏にパソコンの購入を要望したが、M氏は「会計事務なら電卓が1台あれば充分だ。」と相手にされなかった。仕方がないので、自宅に書類を持ち帰り、自宅のパソコンで毎月(2年度以降は支部は二ケ月毎に)本部と9支部の10会計単位の連結合計残高試算表を作成し、理事会にその集計表で会計報告を行った。
公益法人会計は、事業費と管理費は分離し、それぞれが勘定科目別に計算される。従って事業費の事業目的別部門会計を行うには、別に部門別の会計を実施し、別途にマトリックスを製表し集計する必要があった。私はこれを、表計算ソフトの「串刺し計算」機能を使って実現した。
表計算ソフトは「ロータス123」を使用した。
これらの作業結果をみて、M氏が全防協でのパソコン購入を承認したのは、協会設立後約9ケ月後であった。それまで、自宅のパソコンが社団法人の会計を支えた。
会計以外にもこのパソコンは色々と働いた。例えば建築防水需要推計を実施し、多桁式防水会計プログラム・防水見積書作成プログラム・防水工事管理兼実行収支計算プログラム等のプログラムを作成し、その作成方法を匿名で業界雑誌に「パソコン汎用ソフトによる防水工事業OA化手引」という題名で、7回連載し、公開した。
これらのプログラムを無償でモニターに提供しようと試みたが、希望者はなかった。その理由として、掲載した雑誌の記者は、最近になって「プログラムを入力したフロッピイが5インチだったのが失敗であった。当時でも3.5インチがメインだった。」と批評したが、汎用表計算ソフトを利用する会計処理でなく、オフコンや会計専用ソフトを利用するユーザーが多かった時代の結果ではなかったかと思う。時期尚早だった。
この多桁式防水会計プログラムの作成に当たっては、工研工業(株)の三戸實氏に教えて頂いた。特に@if関数の使い方を指導して頂いた。また防水見積書作成プログラムでは@lookup関数と@if関数を使ったりして、論理関数の利用を覚えた。
そんな時になると、世の中には、私の行動を警戒する人が現れる。私が業界雑誌に汎用ソフトによるプログラム作成ノーハウを公表すると、プログラムを組んで販売している業者が、私を牽制し、連載を中止して欲しいと言って来たことがあった。その人は私に向かって「貴方は私の敵か味方か。」と尋ねた。私は「敵にも味方にも貴方次第で変わることが出来る。」と答えた。
また建築防水需要推計は、Mというシーリング工事業者が自社株の店頭公開の際、説明用資料として、自社が積み上げ計算した結果と、私のマクロ推計が一致していたと評価されたこともあった。現在は同じマクロ推計方法で「建築断熱需要推計」を作成している。これら需要推計の方法については、後述の予定である。
全防協のパソコン購入時にO社という、OA商社にパソコンの見積もり依頼をしたところ、オフコンを勧められた。こちらはパソコンを購入しようとしているのに、パソコンでは「動かなくても知らないぞ。」と暴言を吐いたセールスマンがいた。
この商社の人間がオフイスに来ると、彼らの先輩にこんな人間がいたと今でも話をする私は「しつっこい男」だ。
なお現在の職場で今まで使っていた計算ソフトは「リポート」にある表計算ソフトだったが、メモリー容量が少なく、保存データに制限があるので最近マイクロソフト社の「アクセス」に切替えた。
ホ)データーベース
表計算に対して、データーベースにはあまり注力しなかった。会員名簿やそれによる郵送用のタックラベルの作成など、会費管理などにデーターベースを使っている。またアンケート調査の集計にも利用した。これらの中には「防水工事業経営実態調査」「断熱工事業廃棄物処理実態調査」「断熱工事安全対策実態調査」等々がある。
このうち平成4年度に実施した全防協関東甲信特別区を対象とした「防水工事経営実態調査報告」は、調査委員長だった、井上良夫氏によって、他の専門工事業職種との比較データを交えた、報告会を開催して頂いた。その後全国対象の調査も実施した。
ソフトとしては、始めは「忍者」「ZEROEX」「ZERO2」などのカード型DBを使用し、その後「桐」に切り換えた。現在はリポートのDB機能を使用しているが、マイクロソフト社のアクセスに移行中である。
マイクロソフト社の表計算ソフトとDBの使い勝手はロータス・桐に比べて悪い。何れ詳細に渡って説明するが、今日これが事実上の国際基準なので、仕方がなく努力して使っている。 一太郎のジャストシステム社やロータス社のウィンドウズ対策の奮闘振りを見るに付け、桐の管理工学研究所の不甲斐なさは残念だ。
私は表計算の方がDBよりも得意である。パソコンを使う人にも、表計算得意型とDB得意型の2種類の人があるようだ。私に「敵か味方か。」と尋ねた人はDB得意型で、三戸實氏は表計算得意型だった。
ヘ)インターネット
現在の職場に入って、始めたのは、情報ネットワークの構築であった。約260社の全国の会員に情報を伝達する手段としては、郵便・FAX・電話があるが、一斉に同様の内容を送信するには、コストの安いFAX一斉同報を利用している。また情報データーベースとしては、FAXのハードデスクを利用した情報BOXを設置して、会員の利用に応じている。このような方法で情報ネットワークを構築したのだが、インターネットのEメールによる一斉同報システムなら、FAXよりも格段の少ないコストで情報が伝達可能である。このことを各種のインターネットの本を読んで知ったので、今の職場では、当初から、ウインドウズ95とインターネットによる情報ネットワークへの転換を見込んで、パソコンを導入した。
幸い全防協の時とは違って、役員各位のご理解が早く、また大谷商事の新井邦夫氏のご支援を頂き、PC9821バリュウスター・マイクロソフトウインドウズ・ISDN・ソネット加入で、通信機能を有したパソコンシステムを設置し、ホームページ「断熱広場」を開設した。
将来は全地区協会事務局とローカルネットワークを構築し、当協会からも、地区協会からも、全関係者に情報を双方向に流れるようにしたい。と思う。また建設CALS/ECのような、建設取引のデジタル化の進展に、会員が対応できるように支援したいと思っている。
現在はホームページによる情報教育事業・共同宣伝事業と、Eメールによる情報交換が主体となっているが、これで満足している訳ではない。
ト)親子三代、パソコン三昧
さて、自宅のMS−DOSパソコンはその後どうなったか、ご報告する。
80万円を要した愛機は、その後CPU倍速化を試み、失敗。暫く故障したが、自然にフロッピイでの機能が回復した。そこで今では孫娘・孫息子のためのゲーム機になった。 孫達はここに来ると、「テトリス」「上海」「ブロックでポン」等のゲームで遊んでいるが、上海などは私よりも上達した。私は「悟空」で8段までになったが9段に昇格出来ないでいる。一度九連宝塔の転牌をしながら上がれなかったことがあったが、以来ツキがない。
娘の婿殿は公立高校の教師だが、彼は大学入試問題の「傾向と対策」をEメールで情報交換し、生徒の成績をDBで記録・分析する。ここに来た時は、自分が読んだパソコン雑誌を置いて帰る。婿殿のインターネットのホームページ情報は汎世界的で、多彩である。 息子は医者だが、いままでMAC派だった。最近ウインドウズ派に転向する意向だ。
こうして今は、親子三代、パソコン三昧の日々である。
チ)習得しなかった技能−外国語
テクノクラートに必要な技能の中で、ただ一つ習得出来なかったのは、外国語だった。戦後幾らもその学習の機会がありながら、そして何度も試みながら、結局外国語会話は無論のこと、外国語の書籍を読むことも、書くことも出来ないでいる。国際化の波に業界団体事務局も洗われる今日、この事が私の欠陥になっている。申し訳けない。
以上でテクノクラートとしての技術力の習得に関する経歴の説明を終了したい。私は現在の中高年者のリストラ対象者の再雇用のための技能習得を、先駆けてした一人だったと思う。そして才能に恵まれなかったが、自分としては当時出来る限りの努力をしたと思っている。いかがであろうか。
次回から私の団体遍歴を回顧することにする。そこで私がN社から見放された当時、自暴自棄に落ち込むことなく、学習と共同事業に専念し得た原因についても言及したい。
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